六大武将 聖地巡礼の旅

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聖地への扉

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名古屋おもてなし武将隊ブログ

聖地への扉 二、「尾張名古屋の武家文化」 文武両道、そして雅。

家康の意志を受け継ぎ、文武両道の家風。

武田信玄、織田信長、豊臣秀吉から学んだ最終勝利者・家康の戦略。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで勝利した家康は、3年後に征夷大将軍に就任。数々の苦難を乗り越えてきた家康が、初めて自由を手にした瞬間である。家康が天下人になって取り組んだことは2つ。それは、信玄、信長、秀吉から学んだ最終勝者ならではの渾身の策であった。ひとつは信長も秀吉も失敗した「世襲制」の確立。もうひとつは二度と戦いを起こさないための徹底した「意識改革」であった。下克上を全否定し「質素倹約」、「文武両道」「質実剛健」の思想を植え付けた。

質実剛健、文武両道、質素倹約こそ、尾張徳川家の家風。

家康は、最も信頼できる息子である「義直」を、名古屋城に封じた。家康ゆずりの義直は、 城内に日本初の聖堂を作るほど儒教を奨励した。また文武にも優れ、能や鷹狩も好んだ。剣術は尾張柳生、砲術は天下一の稲富一夢から習得。剣豪宮本武蔵も義直の名声を聞き、名古屋城で模範試合を行っている。この初代藩主の気質が、代々受継がれ尾張徳川家の家風となっていったのである。

(名古屋城本丸御殿障壁画/竹林豹虎図)(葵紋散螺鈿黄金造飾太刀拵/徳川美術館蔵)(徳川義直画像模本 桜井清香筆/徳川美術館蔵)
(国宝 初音の調度 四季花鳥図屏風 六曲一双/徳川美術館蔵)

ゴージャスなのにお淑やか。名古屋嬢のルーツは尾張のお姫様。

工芸、衣服、絵画、武具など、和の頂点を極めた装飾美。

桃山時代に花開いた日本独自の装飾美は、江戸自体に入り一層成熟し、絢爛豪華さの極みを迎える。例えば2代光友に嫁いだ千代姫の花嫁道具は 「初音の調度」と呼ばれ、国宝に指定されている。江戸中期、町人たちは名古屋友禅など、より多彩な装飾に飛びついたのに対して、武家や公家は伝統を重んじ刺繍を中心とした煌びやかな小袖を愛用した。

雅で煌びやかな、尾張徳川家の婦人たち。

初代義直夫人・春姫から、15代茂徳夫人・政姫まで、尾張徳川家に嫁いだ女性たちの華やかさは、御三家筆頭ならではのもの。春姫の輿入れは、熱田から名古屋城まで絢爛豪華な花嫁行列が続き、それが「名古屋派手婚」のルーツと言われている。他にも良家の子女が数多く嫁ぎ、「ゴージャスなのにお淑やか」な名古屋独自の美が生まれた。また江戸城と名古屋城にだけ大奥(御内証御殿)があり、艶やかで華麗な奥文化が花開いた。

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